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2011年を振り返って。

2011年の反省会を1人勝手に行います。

自己満というか、
自分を振り返って2012年・勝負の年に活かそうっていう記事なわけです。


今年という1年を振り返るにあたり、3.11のことは避けられない出来事です。


人として、日本人として、医療従事者として。


3.11その日のことを日記に残していた。


もしかしたら、
この記事をよんで、いやな思いを持つ人もいるかもしれないけど

私にとって、これが現実でした。

私はこのときの感じた思いを・出来事を忘れないように生きていきたいと思います。


*******

地震発生の時。

私は日勤。

この日は午前中に受け持ちがいなく、
新人さんの教育を主にしていた。


昼頃から
入室が相次いで、私の担当していた部屋もいつの間にか埋まっていた。


1人は比較的症状の軽い方。

1人は脳疾患の方で、術後、ICPセンサー・脳室ドレーン(頭の中に管を入れて、髄液を排液してる)挿入中、人工呼吸器管理の方。
こちらは結構重症で、
なぜこの人をHCUに出すんだ?ってレベル。


それでもまぁ、なんとか回っていたし、

新人さんのフォローもできていた。



患者さんのそばを離れているときに

軽く揺れた。


「地震だから、ベッド回り確認~!」


リーダーの声で、部屋に戻りベッドサイドに行ったころ
大きく揺れ始めた。



(あ…これ…くる。)


何でしょうね。
新潟の経験でしょうか。

頭がぱーーーっとしました。


自分の部屋には人工呼吸器の患者が2人。

ICPの入っている人が1人。

不穏患者1人。

レベルの清明な人1人。

患者家族2人。


自分の患者さんの挿管チューブとICPが抜けないように支え、
電源等確認。


同様の行動・確認を新人さんにも指示しようと
見ると、泣きそうになりながら患者さんのそばから離れようとしている。


「チューブ支えて!電源確認!しっかりして!」

その他の患者さんに声をかけ続け、
どうにも新人さんはいっぱいいっぱい…家族もそんな状況を見て不安にベットと患者さんにしがみついている。

「○○さーん、大丈夫ですか?一緒にいますからねー!

△△さん(家族)落ち着いてくださいね。」


不穏患者…寝てる。


主任たちは大きな声で注意喚起を促している。


揺れが収まった。


患者さんの周囲に異変がないか確認。

レベルのいい患者さんに声をかけ、周囲の確認。

新人さんが涙を流してこっちに向かってくる。


「何泣いてるの!!患者さんのそばから離れず確認行動!!!
患者・家族を不安にさせてどうすんの!?」

怒鳴る。

Dr、CEが各部屋を確認に回る。


これは絶対やばい。
最悪のことを考えて動いてないといけないかもしれない。


「患者さんの頭周りの物は片付けて。
緊急で避難になるときの流れは覚えてる?何をどこから外して避難させるのか、この人はどのレベルかトリアージしておくよ。
記録も持っていかなきゃいけないんだからね。
しっかりすんだよ!絶対余震来るから!」



ここからはストレスフルな時間を過ごした。

地震のことを意識しながらも、
やらなきゃいけない処置を進めなければいけない。


何度もやって来る余震。

走る緊張。


ラジオから流れる情報で、
きっと関東は麻痺するなと予想。


コスモ石油火災の情報…

都内での火災発生…

天井落下でけが人…


これは、予想以上かも…。



津波10m?!
相当死んでるな…。



新潟の時もそうだったけど
鳥肌がいつまでたっても収まらない。


新人さんに泣くなと怒ったけど、
自分だって泣きたい。




夜勤さんにバトンタッチ。


そのころには
日本DMATでチーム派遣、福島へセンターのスタッフが向かった。


早々に勤務を終わらせ、帰宅。

エレベーター止まってて4階まで駆け上がる。


我が家の被害は
一味唐辛子の落下のみ(笑)

ひとまず逃げる準備。


通帳・印鑑・へそくり。

着替え・食糧・シート・懐中電灯。


一式まとめて、ご飯の準備。


ずーっとテレビとにらめっこ。

誰とも連絡つかないからmixiが頼り。


余震にビビりながら、
どのタイミングでシャワー浴びるか。

いつ寝るか。

どこで寝るか。

シャワーは携帯近くに置いて、
荷物と着替えを入り口に置いて浴びた。

日が変わってから布団に入った。

寝ていてもすぐに異変に気づいて起きれるように
テレビをつけたまま寝た。

でも、1時間に1回くらい目覚めるし
地震予測のアラームは鳴るし

目が覚めたときの自分の体の強張りといったらない。

心身ともに全く休めない状態で今日も日勤。



被災地からの受け入れ要請を受けて、
救命センターに入院中の患者さんを

一般病棟に移したり
他病院に転院させたり。



絶え間なく動き回り…

患者急変。


緊張の糸がぴーーーーん。



そんな1日が終わり。


ちなみに病棟9ベッド空いてる。

明日はどうなってるんだろう…。


長々とここ2日の動きを記録。


すっごい疲労だし、
すっごい不安なんだけど、

こういうときこその救命救急センターであって、

こういうときに動ける人間になりたいと思って来た東京だから、頑張るしかない。

ただ、
今回のことでへこんだのが新人さんへの対応。

私たちは看護師だから、

私たちはプロだから、

私たちはしっかりしなければいけない。


かもしれないけど、
私たちだって人間で、

私たちだって被災者で、

私たちだって恐怖を感じる。


だから、
私は新人さんに対して
あんなふうに怒鳴ってよかったのか…

どんなふうに対応すればよかったのか…

悩むけど、答えが出ない。

とりあえず、
この地震がもう少し落ち着いたら

勉強しようと思う。


*******


以上が当時の日記。

いま読み返しても、
当時の恐怖や不安。

看護師としての使命感と歯がゆさ。

いろんな感情が生まれます。


そして、たくさんの情報を得た現在ですらも
このとき得た感情にはかなわなくて。

ここから先に進めてないなという思いでもあります。


私は地元が新潟県です。

中越地震
中越沖地震

中越地震の時は看護学生で
福井県・敦賀市にいました。

家族の安否がただただ心配でした。
そして、今回の3.11の悲劇でもある原発事故。

地元からそう遠くないところに刈羽原発がありますので、
中越地震の時は放射能についても心配したことを覚えています。


中越沖地震の時は新人看護師として地元で働いていました。

その時も私は勤務していたのですが…日記があるので抜粋して載せます。

********

今日は、 日勤でした。

海の日で
病院はお休み。

病棟もいつもより少ないメンバーです。

私は、
オペ後の患者さんに
人工呼吸器をつけている、例の患者さん等々を受け持っていました。

やらなきゃいけないことが、とにかく沢山ありました。

10時頃って、一番ドタバタしている時間帯。

あたしの頭は、
あの人の点滴に行って、
あの人のガーゼを交換して、
あの人の回診について…

とクルクルしてました。

私は 人工呼吸器の患者さんのCVを切り換えているところでした。

さぁ、
終わった。
一声かけて、次のケアに行こうとした瞬間…

ん?


え?


あ。


地震…

ヤバい。

まず、
人工呼吸器が外れないようにチューブを守る。

延々と
揺れ続ける。

そんなんわかんないのに、

奥さんに
『大丈夫ですよー』と言う。

本心は、
逃げたい…
怖い…

でも、
一番は
この患者さんに何かあったらどうしようという恐怖心。

揺れが収まってからは、まさにドラマのような光景。

みんな
まず、
人工呼吸器の患者さんのところに。

そこには私がつくことに。

落ち着いていたので、他の患者さんのところへ。

興奮する方。
体調不良を訴える方。
私服に着替えようとしている方。
走って、患者さんのところへ駆けつける家族の方。

何だか、
夢でも見ているような。
そんな状態でした。

病院では、
対策本部が設置され、
エレベーターは止まり、
トイレでは水が流れず、
ヘリポート始動。

そして、時間が経つにつれ日常に戻りつつありました。

正直、
あたしはずっと
鳥肌が立ち、
寒気がしていました。

昼ご飯も一気に食べ、

午後から来る緊急の入院の対応でドタバタしていました。

うちは整形外科と外科の混合病棟ですから怪我と言えばうちの病棟です。

刈羽には系列病院があるのでそこから搬送されるとの連絡。

断水で水がないため、
透析はもちろん、
重傷の方はいるが、オペもできない状態だと。

しかし、
緊急入院はあるものの、搬送患者が来ない。

そして連絡が。

搬送したくてもできる状況にない。

何と酷い。

そして、
午後の大きな余震。

人工呼吸器の方が緊急輸血のため、ルートを確保し、固定した瞬間…

余震!!

ゆっくり滴下させ、呼吸器のチューブを再び。

またかよ~。
やだよ~。

休みのメンバーもボランティアで駆け付け、
夜も残る感じでしたが、大丈夫だということで、
炊き出しを食べて6時前には帰ってきました。

********

私はこのときの経験があったから
今回の3.11ではその時の反省を活かして動けたと思います。

その点に関しては、自分の中で成長がみられたので良い点でした。


ただ、じゃあこれが東京直下型の地震だったならばどうだったか?
意識のはっきりしている患者さんのいる一般病棟ではどう動けたか?


経験を無駄にしないために、
今の自分だからできることをやる私でいなければと思います。


現地に赴きたいという気持ちも抱きましたし、歯がゆさも感じました。

ただ、自分が今できること、
与えられている責任を考えると

職場で、後方支援病院としての役割任務を全うすることも大切なことだと気付きました。

日本全国に広がった助け合いなんだと思います。


そして、世界各国からの支援。

感謝です。

世界中からの気持ちが嬉しいし、

日本が世界に対して行ってきた支援の大きさも感じました。


だから、
というのもちょっと違うような気がしますが、

たくさんの感情とともに、日本人として、世界一周に臨みたいと思います。


本当はもっと書きたいけど、あまりにも長くなりすぎちゃったのでやめます(笑)

もう、今回は2011年を振り返って~地震編~ということで…。



本当に自己満ですみません。


♪DOES:陽はまた昇る


*********

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コメント

No title
こんにちわ。コメントありがとうございます
似たような病院で働いているんですねー
おつかれさまです。

まぁ後少しお互いがんばりましょう!
Re: No title
場所は違えども、似たような病院なんでしょうね…
お疲れ様です!

うちも、整形オペ待ち患者ゾロゾロですよー(笑)

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